古代海人族

  • 2014.08.12 Tuesday
  • 11:22
先月7月28日(月)の西日本新聞朝刊に国指定遺跡“相島積石塚群(四世紀末〜6世紀後半)”の被葬者(墓に葬られている人)は、古代海人族の宗像族では無く、同じ海人族の安曇族ではないかとの推論を西谷正(九州大学名誉教授)さんが公演会で報告したという小さい記事が載っていました。
7月28日付西日本新聞の記事
これだけでは、古代史や考古学に興味の無い人には、「何のこっちゃ?」と思われるでしょう。しかし、この小さな記事が古墳時代(三世紀〜七世紀)の北部九州、特に地元福岡の沿岸に住んでいた大昔の人々の生活を知る上での1つの重要な鍵になるお話しなのです。ところで、新聞にも書かれていた安曇族、地元の人でもこの名前を知っている人は少ないと思います。

ちなみに、古代海人族とは、海を中心に生活し、主に漁や航海、海運を生業にしていた一族を指します。

一方、宗像海人族は、今は新聞やテレビなどでも数多く紹介され、さらに「宗像・沖の島と関連遺跡群」を世界遺産にという運動が今、盛んに行われていますからご存知の方が多少は居ると思います。この宗像海人族が活躍していたのが、今の宗像大社のある福岡県宗像市周辺と大島、沖の島から対馬を結ぶラインだと言われています。そして、宗像族が宗像大社にお祀りしていたのが海の神様である宗像三女神です。

その一方で、安曇族は、現在の福岡市東部から志賀島を結び長崎県の五島・壱岐対馬までの海を拠点にしていたと考えられています。そして、宗像族と同じく安曇族は、大綿津見三神と呼ばれる海の神を志賀海神社(しかうみじんじゃ)にお祀りしています。この志賀海神社はあの学校の教科書に載っている金印が発見された志賀島(福岡市東区志賀島)にある神社です。
ここで、あまり歴史に詳しく無くても地元の方なら気づかれた方も多いと思います。安曇族が信仰していた志賀海神社から宗像族が信じていた宗像三女神が祀られた宗像大社まで、直線距離にしておよそ30キロメートルしか離れていないのです!!

現在、車を使い陸地を移動しても海の中道(県道59号線)から国道3号線を経由して1時間弱で行けます。多分、古代の船を使って海を渡っても半日で辿り着ける距離でしょう。そうです、安曇族と宗像族の2つの海人族はまさに隣人だったのです。
志賀海神社と宗像大社の距離
そこで、先ほどの新聞記事に戻ります。“相島積石塚群”がある相島とは、玄界灘に浮かぶ小さな島です。最近、相島で真珠の養殖が始められ、相島真珠が高級デパートなどで福岡産の真珠が売りにだされたと話題になっています。その相島がある場所を地図で確認すると一目でわかりますが、宗像族が信仰していた宗像大社と安曇族の海神を祀る志賀海神社の直線距離でほぼ中間に浮かんでいるのです。このため、相島にある積石塚群(石積みで造られた多くの古墳)の被葬者が宗像族なのか、安曇族であるのか、(あるいはまた別の古代海人族のものであるのか?)諸説あるようです。

どちらにしても、この記事から古代の九州北部沿岸、特に博多湾から玄界灘周辺にかけては、多くの海人族が活躍していた海の楽園だったことがうかがい知れます。

以上

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